「学校なんて、無理して行かなくていいんだよ。マイクラでもなんでも、好きなことをとことんやったらいい」
先週末、久しぶりに私の両親に会ったときの一言です。
不登校の娘の将来を思うと、私たち親としてはどうしても「このままで大丈夫かな」と悩んでしまうことがあります。勉強のこと、友達づきあい、社会との接点…あれこれ考え出すと、不安は尽きません。
ですが、祖父母たちは、もっとシンプルに、「今の娘の姿そのもの」を見て、愛してくれている気がします。
実はうちは夫婦両方の親ともに、不登校に対してとても寛容で理解があります。
「学校に行かなくても、ちゃんと生きていけるよ」
「やりたいことがあるなら、それを極めたらいいんだよ」
まるでベテランのカウンセラーのようでもあり、でもそれ以上に、「孫が元気で幸せならそれでいい」というシンプルな愛情が伝わってきます。
とはいえ、私の中には少し引っかかる気持ちもあります。「無理して行かなくていい」と気軽に言えるのは、自分たちは毎日娘と向き合ってるわけじゃないからでしょ?
そんなふうに、祖父母の言葉が“無責任”に聞こえることも、正直あります。でも同時に、だからこそ言える言葉なのかもしれない、とも思います。
私たちが抱えている重さを、ふわっと和らげてくれる、ちょうどいい距離感の「無責任さ」。
それは決して投げやりではなく、「この子は大丈夫だよ」と信じる安心感でもあり、同時に、私たち――娘の親である私たちのことも、ちゃんと信頼してくれているからこその言葉なんだと感じます。
親として毎日考えたり迷ったりしていると、どうしても視野が狭くなってしまうことがあります。
そんなときに、「大丈夫だよ」と笑ってくれる人がいてくれることが、どれだけ心強いか、身にしみた週末でした。
祖父母のまなざしに支えられながら、今日も私たちなりのペースで歩いています。